いくらでも魚はいる

感想文と旅行

no conditions <リメンバー・ミー>

ピクサーではトイストーリー3が一番好き。

いま、スペイン語習ってる。

そんな私のために作られたかのような映画、「リメンバー・ミー」の原題は”COCO”。それだけで、もう何かを感じて途中から泣けるはずです。

脚本は申し分なく、dia de los muertos(死者の日)にだけ繋がるあの世は魅力的で、フリーダ・カーロの自分ばかり出てくるショーは前衛的で、立派なアゴを持つ頼れる男の化けの皮がはがれるに至るくだりは名人芸的にうまい。final deathの前にまだもう一度社会性を楽しめる世界は素敵だし、条件のつかない愛だけが本物だという強いメッセージも私たちの心を震わせる。

しかし何と言ってもこの映画で一番好きなところは数回ある歌の場面で、どれもとても良い。リヴェラ一家は音楽を禁じているのに、いざとなると皆を喜ばせるエンターテイナーにもなれる。ラティーノだもの。素晴らしいのは歌い出すまでの逡巡がとても緻密に描写されているところで、ひどく緊張して実力を発揮できず、無残に失敗してしまうのではとこちらもどきどきしてしまう。そして観衆を魅了する快楽。話の途中で無闇に歌い出したりしないピクサーだからこそできる匠の技だ。大好き。

発光体<シェイプ・オブ・ウォーター>

初日は満席だった。それは眼がくりくりして愛らしく、ここぞという場面で身体を発光させる。その青さがとっても水棲生物らしい色で嬉しくなる。主人公は人魚姫のように口がきけず、理由はそっと暗示されるだけで、あれが夢のようなラストにつながる。主人公が住む部屋、音楽、ソ連の人々、車の色(ティール)、不味いパイ、悪役の気持ち悪さ、全てがしっくりきて最初から最後までずっと心地よい映画。こんな映画がアカデミーを取れる時代になったなんて素晴らしい。

あの家に住みたい <パディントン2>

去年の秋にモアルボアルのダイビングサービスで会ったイスラエル人はサウスケンジントンに住んでいると言った。

「わたしもロンドン住んでたことあるよ。10年くらい前」

言いながら、そんなに経っていることに内心驚いた。彼は言った。

「昔だな。But...No change !」

「わかるー」

 

もちろん現実のロンドンは変わっている所はいっぱいある。わたしが住んでいたころ夜中にTubeは走ってなかったし、Shardも建ってなかった。しかし我々が期待する不変のロンドンのイメージというものがあることは向こうもよくわかっていて、そこではニューススタンドにオウムがいて、鍵を忘れて家から締め出され、ヒュー・グラントは家の中に自分の若い時の写真を飾り、小さなクマがダッフルコートを着て歩いていてもおかしくない。古い2階建てのバスもなくなってもはや信号待ちの時に気軽に飛び乗れたりできないが、パディントンはまだあんな風に移動できる。わたしが、みんなが大好きなロンドン。特にブラウン家のかわいさは前作から明らかであった。古い家屋はきれいに手入れされ、廊下には桜の木の壁紙。今回でてきた、洗面台付近の壁紙もおしゃれだったなー。緑のドアすらラブリーだ。この映画を見ているとわたしはロンドンで貧乏学生だったころに戻ってしまい、ブラウン家の一員になりたいクマに感情移入し、貧弱な水回りを知っているからこそ急いで追加の保険をかけるブラウン氏の気持ちもわかるのだった。1を観ていれば、より楽しめるだろう。前回女装したブラウン氏をセクシーと形容していた警備員はセントポールでも全く役に立たない警備をしており、女装したヒュー・グラントをstunning sisterと絶賛。そういえば1で一番面白かったのはパディントン駅の警備員が2人で菓子に含まれる化学物質当てクイズをしていたところで(個人の感想です)、今回は刑務所パートがいちいちおかしい。荒くれ男たちの思い出のレシピはなぜか全部スイーツだし、まさかヒュー・グラントの突然のミュージカルが最後にあんなふうに花開くとは。謎はクリスティのように解き明かされ、ミセスブラウンは007のように水中を潜り、パディントンの救出にいく。

 

Violence begets violence からの <スリー・ビルボード> (ネタバレ)

フランシス・マクドーマンドが酒の瓶を持って立ち上がった時、私たちはもう期待している。誰がビルボードに火をつけたのか、ついさっきわかった。ポロとポリオの区別もつかない小娘を連れた役立たずの昔の夫が、小人とディナーしていた彼女を笑っているテーブルへゆっくり歩いていく。ミルドレッドはやる時はやる女。車にジュースを投げつけた高校生の股間を蹴り上げ、無能な警察署は燃やす。頭のわるい19歳がなぜbegetsなどと言ったのか聞きながら、私たちも固唾をのんで見守る。

しかし彼女はワインの瓶を男の頭で割ることなく、テーブルに置いた。ゲームオブスローンズの人から最もなことを言われ、violence begets violenceもまた、最もなことであるからだ。

この映画はひどい目にあった者がその相手をゆるすことが繰り返される。窓から突き落とされた若者が愚鈍な警官にオレンジジュースを注ぎ、愚鈍でレイシストの警官は自分を燃やしたミルドレッドの娘を殺した犯人を探して殴られ、自殺した署長は広告代を支払い、ミルドレッドは犯人を見つけられない社会に向けてビルボードを出し、その下に花壇をつくる。

2004年6月頃

ロンドンで最初の3ヶ月を過ごした後、ニューカッスルに行くまでの1ヶ月をポルトガルのEUROのために空けていた。宿が見つけられずにいたらリスボンにいる父の知人の家に泊めてもらえることになったものの、easyJetで取れたチケットはFaroという南の港町行きだけだった。イギリス以来初めての一人旅におびえていた私はバスを降りた瞬間を待ち構えていたおばあちゃんに勧められるままに宿を決めてしまい、試合の見れる場所を求めてうろついた。マリーナ沿いのひらけたところに大きなスクリーンが設置されていた。この時期、どこにでもこういうスクリーンがあって、毎晩広場やビーチでサッカーが見れるようになっていた。

デンマークスウェーデンの試合はもう後半で、デンマークがリードしていた。ここではたいして観ている人はいなかった。そのグループは最後まで抜き出た国がなく、同時進行中の試合の結果と合わせて上位2か国が決まる。もう1試合はイタリアが勝っていた。ところが終了ぎりぎりになって、スウェーデンが同点に追いついてしまった。ポイントで並ぶとゴールの少ないイタリアが3位になることがわかっていて、試合終了した瞬間にITALY OUT!と喜びの声が上がった。ドイツとイタリアが負けるとみんな喜ぶ。そのグループは北欧2か国が仲良く勝ち上がった。次の日すぐ電車に乗ってリスボンへ行ってしまったので、ファロの思い出はあの試合だけだ。イタリアがスウェーデンに負けてワールドカップに出れないニュースを見て思い出したこと。

(500)日のサマー (2009)

恋愛映画強化月間。アマゾンプライムではなぜか吹替しか無料で探せず、まあいいかと見始めたので正確ではないけど、この映画の中で2度言われている、失恋した友達などを慰めるよくある英語の言い回しがあって、このブログタイトルもそれからとっています。

there's plenty of fish in the sea.

言われる側にとってその時は最も相手を過大評価している時なので大抵響かないんだけど、後で振り返るとそれはとても真実。映画でも2度目に妹(この妹がとてもよい)からそう言われた時は主人公は少し回復していて、受け止め方が変化している。

 

すごくよくできている映画。自分が大人になってしまったのか、トムとサマーどちらの側にも寄ることなく、ニュートラルな気持ちで楽しめた。恋愛気分を楽しみながら「友達でいよう」という人はどこにでもいるけど、それをちょっと不思議なかわいい女の子に設定したのが一番秀逸。その不平等条約は結ぶべきじゃないというのが正解だが、トムにそこまでの経験値はない。サマーは言質を取られたくなくてそう言っているわけじゃなく、とても正直だし全然悪くないんだけど、トムの立場からしたらbitchと言いたくなる気持ちもわかる。気持ちよいスピードで話は流れ、画面を分割して"Expectation"と"Reality"が同時に進むホームパーティの場面なんてそうそう、こういう妄想するよねって笑ってしまう。最後に取り繕いようのないRealityがExpectationを飲み込んでいく見せ方も上手い。

最終的にトムはそれなりに仲間とうまくやっていた仕事を辞め、ずっと本当は挑戦したいと思っていたことをやってみるようになる。それがあくまでも失恋で自暴自棄になった結果として表れ、声高に成長を主張したりしないのがこの映画で最も好きなところだ。好きな相手は結局自分の鏡でしかなく、他人を変えることはできず、でも自分は変えられる。サマーもトムの影響を受けているからこそ、次の相手に「運命」を感じたはず。彼女の腕にトムが理想の街並みを描いていく場面はIKEAのデートと同じくらい良いシーンだし、私達はただ今そこにある幸せを感じればよいのであって、相手が誰であるかは問題じゃないということがラストでわかるようになっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

I am the sea<ドルフィン・マン>(ネタバレ)

東京国際映画祭ジャック・マイヨールのドキュメンタリー。

嵐が近づき、閑散とした六本木ヒルズにて。

 

グラン・ブルー」でも相当浮世離れしたキャラクターとして描かれていたマイヨールだけれど、現実の世界でもまずいないような人生を送っている。

フロリダの水族館で大型哺乳類にえさをあげていた頃、ヒトとのコミュニケーションが著しく長けているイルカのクラウンに会って素潜りのスキルを伸ばすことに注力しはじめたマイヨールは子供を2人もうけていたりもするが、ラブアンドヘイトな仲だった妻と離婚したのちは「まさにノマドのように」世界を動きはじめる。伊勢海老の漁師をしたり、ハリウッド俳優のドライバーをしたりとその場でお金になる仕事で生計をたてながら素潜りの世界記録保持者にもなっていくので、そんな男がいたらもてないわけがなく、軽めのニュースで「マイヨール氏の好きなものは海・お金・女性です」みたいに紹介されたり。さらっと流されていたけど、マイヨールが別名で制作したという水中ポルノみたいな映画はなんなんだ。映画では2人の子供のインタビューもあって、ずっと音信不通だった娘と久しぶりに再会し、旅行に一緒に行くことになって娘さんはたいそう喜んだのに、行ってみたら父はガールフレンドも連れてきていてひどくショックを受けたという、いかにもありそうなエピソードも語られていた。自分の好きな人たちと一緒に旅行したら、みんなも楽しいと思ったんだろうな。その時のガールフレンドが彼の人生におけるベストパートナーで、しかし事故でマイヨールの目の前で死んでしまうなど、全てがドラマチックなんだけど、当時のマイヨールのつらい様子を話す友人が日本人だったりして、物語と現実を行きつ戻りつするような不思議さがある。

インドでヨガの呼吸法を習い(呼吸を止めても頭の中では呼吸している)、伊豆で禅の思想を教わる神出鬼没のマイヨールの生活は「人々の彼に対する好意を利用していた」とも説明され、ことさら美化もせず、バランスのとれた描き方になっていると思う。それでいて、若きフリーダイビングチャンピオンが何かを学ぼうと訪れるとわけもわからず浅瀬に毎日連れていかれる、みたいな少年漫画的エピソードがふっと入ってくる。フリーダイビングの神髄がその競技性とは乖離していくことへの考察。

グラン・ブルー」への不満や後年の鬱に関してはあまり時間をとらず、自殺したことをフランスのニュースは「海へ還ることを選択しました」と報じていた。最後に息子が現れ、ここは父に泳ぎを教わり遊んだ思い出の海だけど、それ以上に聖なる場所だから。わかるでしょう?とエルバ島の海に潜っていくと、そこにはジャックの墓がある。神話のような人生。

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 ナレーションは「グラン・ブルー」でジャックを演じたジャン・マルク・バール。

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 上映後に6分間VR体験みたいなイベントがあり、ヘッドフォンの数から観客が3グループに分かれて海の映像を観た。最初の1組目だったので終わってすぐ会場を出ると監督とジャンがいて、ここぞとばかりに記念写真。ジャックとは仲良かった、映画は有名になりすぎたことが嫌だったんだよと言ってました。