いくらでも魚はいる

感想文と旅行

(500)日のサマー (2009)

恋愛映画強化月間。アマゾンプライムではなぜか吹替しか無料で探せず、まあいいかと見始めたので正確ではないけど、この映画の中で2度言われている、失恋した友達などを慰めるよくある英語の言い回しがあって、このブログタイトルもそれからとっています。

there's plenty of fish in the sea.

言われる側にとってその時は最も相手を過大評価している時なので大抵響かないんだけど、後で振り返るとそれはとても真実。映画でも2度目に妹(この妹がとてもよい)からそう言われた時は主人公は少し回復していて、受け止め方が変化している。

 

すごくよくできている映画。自分が大人になってしまったのか、トムとサマーどちらの側にも寄ることなく、ニュートラルな気持ちで楽しめた。恋愛気分を楽しみながら「友達でいよう」という人はどこにでもいるけど、それをちょっと不思議なかわいい女の子に設定したのが一番秀逸。その不平等条約は結ぶべきじゃないというのが正解だが、トムにそこまでの経験値はない。サマーは言質を取られたくなくてそう言っているわけじゃなく、とても正直だし全然悪くないんだけど、トムの立場からしたらbitchと言いたくなる気持ちもわかる。気持ちよいスピードで話は流れ、画面を分割して"Expectation"と"Reality"が同時に進むホームパーティの場面なんてそうそう、こういう妄想するよねって笑ってしまう。最後に取り繕いようのないRealityがExpectationを飲み込んでいく見せ方も上手い。

最終的にトムはそれなりに仲間とうまくやっていた仕事を辞め、ずっと本当は挑戦したいと思っていたことをやってみるようになる。それがあくまでも失恋で自暴自棄になった結果として表れ、声高に成長を主張したりしないのがこの映画で最も好きなところだ。好きな相手は結局自分の鏡でしかなく、他人を変えることはできず、でも自分は変えられる。サマーもトムの影響を受けているからこそ、次の相手に「運命」を感じたはず。彼女の腕にトムが理想の街並みを描いていく場面はIKEAのデートと同じくらい良いシーンだし、私達はただ今そこにある幸せを感じればよいのであって、相手が誰であるかは問題じゃないということがラストでわかるようになっている。